横浜市・希望ヶ丘☆どんぐりひろばは子育ての不安を前向きな意欲に変えるお母さんと子ども(0~6才)の教室です。幼児期にこそ『見えない学力』を豊かに育てましょう。☆お問い合わせは下記HPのメールで。


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小1プロブレム うちの子は関係ない!?-2

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うちの子を育てるだけでは 
        うちの子は育たない



まったく困ったもんです。小1プロブレム。
しつけの悪い家庭が多くって。
・・・と、お嘆きの方も少なくないと思います。

学級崩壊とイコールとも言えないけれど、
つながる部分も多い。

うちはちゃんとしてるのに。

今日は、そんな「ちゃんとしているみなさん」の力が必要だということを
わかっていただけないかなと思うことなのです。

一言で言うと、 ≪情けは人のためならず≫ということです。
ちなみに、大人でもこの↑ ↑ ↑意味を「情けをかけると人のためにならない」と
思っている人が何割もいるとかいないとか聞きますんで、
失礼ながら念のために。

「情けをかけるというのは、人のためではなくて、
最終的には自分のところに帰ってくるものですよ。」の意味です。

だからと言って、自分の子どもに用意するのと同じお弁当、同じ衣類、同じ教材、
そんなものを他人の子どもに用意しなさい、なんて言っているのではないのです。

でもね、そんな親がかつていたのですよ。
それがね、私の両親でした。
!!!驚きます。!!!

何?一体どういう子?
おかしくない?

・・・おかしいんですよ。
そして、『私』自身を形成する中でそれがとっても大きなものとなったのです。

この項、続きます。

小1プロブレムの話が出ましたので、
8月に書いた≪学級崩壊)≫の記事、
もう一度読み返してみました。

よろしかったら、どうぞ。









子どもの学級が崩壊したときー3

話を聞く力


どんぐりひろばは学習の場なので、
紙に書いたもの、いわゆるプリントはあります。

ただ、プリント至上主義ではないので
プリントで学習することはあっても、
プリントそのものに重きを置いて学習することはないです。

幼児期の特質、
「遊びとともに」「人とともに」ということを考えると
プリントをさておいてやることが
山ほどありますしね。


量をこなすプリント学習中心主義の優れた点は
その子なりの適期に適量を「こなす」ことで
「量が質に変わる」体験ができて
「習熟の域に達する」というものだと思います。

ただ個人差もあるのです。
発達段階の差、
生活体験の差、
気質の差、などで
適期も適量も違います。

その中でも年長児くらいになると、
「適期」といえる状態がかなりできています。

それで、注意力を養うためにプリントを使うことがあります。

プリントの指示通りに進めることは誰でも出来ます。
これをちょっとした工夫してひとひねりして取り組むことで、
プリントの指示を超えた注意力をつけるのに
使うことができます。

幼児の場合は、プリントをただ与えてこなすより、
注意力つけるほうが
むしろ後々ためになると思っています。

プリント量をどんどんこなすこと、
これも意味あると述べたのは上記のとおりですが、
幼児の場合、量をこなしても、、思考を高めるよりも
操作性の向上の意味のほうが強くなるかもしれません。

思考をつかさどる言語の発達がまだ未熟ですからね。

それならば、別にプリントでなくても、
畑で思わずたくさんとれてしまった枝豆のさやを
枝からはずすというのでもいいわけです。
そのほうがいいくらいかも。

手から伝わる感覚は、忍耐力も段取り力もつくし、
何より、言語的能力を刺激し発達につなげますからね。


さて、年長でプリントを進めていると、
みんな、となりの子の様子が気になるものです。

それで、こちらはわざと子どもによって
少しずつ違う指示を出したりしています。

人任せでない、自分の聞き取り力と理解力だけが頼りです。
本当に注意して聞かないとわからなくなるのですから。

ちゃんと合っていても、隣の子と自分のプリントでは
見た目が違っていたりします。

なお不安な気持ちが掻き立てられる瞬間です。
不安になると騒がしくなりがちですが、
子どもにもぐっとこらえさせます。
最後まで気が抜けません。

学校では、先生がきちんとした指示を出します。
それにもかかわらずとんちんかんなことを言う子、する子がいます。

ちゃんと聞いたはずだけど隣の子がしていることが正しいのかと
ついつられて、自分の聞き取りをあっさり訂正してしまう子がいます。

そんなことで、授業中おいて行かれたり、
次の日に忘れ物したり、
悪気はないけれど、学級崩壊に加担したり、
となることがありますよ。

でも、日本の学校では大勢のしている通りにすれば
自分で考えてなくても、だいたいOKなことが多いですね。

授業中にわからなくても「わかりました」と言うその他の子の声が大きければ
先生はちゃんと教えたことになって次に進みます。

わからない子がわからないとは言えずに
声を呑みこんでしまう空気はないかな?
そんな日常に慣れる勉強の仕方でないかな?
・・・と心配します。

そして、その後テストで点数取れないのは
始めから理解するきっかけを失ったその子の力という
評価になっていくのです。

わからないことを主張するのさえ、
あっさり止めてしまう全体主義の中に埋もれると、
ちょっとしたきっかけであっという間に
落ちこぼれることにもなります。

自分を見失わない力を少しずつでもつけてあげる、
このような視点で学習をしている人は少ないと思いますが
いかがでしょうか。

やみくもに先走り学習するより大切だと思いませんか?
by dongurihiroba | 2010-11-01 15:12 | 家庭教育